32 Comments

  1. 勝永は天王寺口の戦いで幸村が討死した後も
    徳川方から集中攻撃を受けながらも大坂方の残兵をまとめ城へ撤収する
    それを見つけた藤堂勢は勝ち戦に乗じて勝永に襲いかかり逆に反撃を受け後退
    城まで退却すると最後には秀頼の介錯までして自害
    後に江戸時代以降には、「真田は語るが毛利は語らず」言われたんやね(* ´ ▽ ` *)ノ

  2. 毛利隊が駆けているときの音楽大好き

  3. 真田と毛利の最後の突撃がどこまでいったのかは実は確定していない。
    信憑性のある資料に乏しいから。
    だけど、ドラマや映画、小説なとで家康の馬印を倒した二度めの出来事と言うドラマティックさがフィクションでは当然採用されるので、それが史実だと確定していると言う誤解が浸透してしまっている。

    どっちだんたんだろうねえ?確かに本陣に全然届かないでぼこぼこにされていたら切ないから、わからないままと誤解のままでいいのかもしれないな。

  4. これ程歴史がひっくり返る!勝てる!って思った大河ドラマは初めて

  5. 敗因は秀頼、総大将が引きこもる戦は勝てない。関ヶ原もその一例
    家康はそういうのすごい分かってる感じがする。

  6. 「お待たせしましたー!お父様ー!」って出てきた星野源マジで殴りたくなった

  7. 真田、小笠原、諏訪といった信濃にゆかりのある家同士が戦うのは長野県民としては複雑だな〜🥺

  8. 歴史好きな人は知ってると思うけど、
    毛利勝永隊が本多忠朝、小笠原秀政・忠脩、続いて浅野長重・秋田実季・榊原康勝・安藤直次・六郷政乗・仙石忠政・諏訪忠恒・松下重綱・酒井家次・本多忠純の部隊を破ってるから信繁も家康本陣まで突撃できたんだよな〜
    まぁ東北の小藩とドノミ倒しって事もあるけど…
    けど冬と道明寺とかも含めてすごいけどね

  9. 現代社会でもいますね、実力も人望も充分あるのに今ひとつ評価につながらない人が。

  10. ※彼は敗北したあと、秀頼と茶々の介錯をしたあと自害します

  11. 浪人衆みたいに言われるけど、勝永て豊臣家でも譜代中の譜代ですからね

  12. 日本のテレビドラマは毛利勝永の手柄も8割は真田信繁の手柄にしているからな。
    そら真田信繁の方がたしかに絵にはなるけどさ…

  13. この時の毛利豊前守勝永の戦いぶりといったら惚れ惚れする
    この人2000〜3000くらいの部隊を指揮するのがとんでとなく上手かったんじゃないかな

  14. 真田信吉って、信之兄ちゃんの息子よね?

    戦って複雑だなあ

  15. 勝永の何が面白いかってこの何陣もある大名の列を往復してるってことだよ。強すぎんだろこの人。

  16. 大阪の陣で豊臣方に味方する者が少なかったのは、なぜだろう?

  17. 毛利隊が約4000に対し、交戦した徳川軍は約6万と言われていますね
    本多忠朝を討ち取り、小笠原隊も秀政が重傷の後に死亡、嫡男の忠脩を討ち取るなど凄まじい活躍だったらしいです
    真田隊が家康本陣に迫れたのは勝永の突撃があってともいえますね…

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